店舗情報

寛永末期に日本剃刀の鍛冶屋を開業し、屋号は「藤原金高」と言いました。

江戸末期より、六角堂前に店を移し、今に至ります。
錦市場の料理庖丁、西陣の握り鋏、池坊の華道具、表具・・・京都の文化を担う職人
の刃物を、使い手に合わせてコーディネートし続けています。
何よりアフターフォローを第一に心がけています。

店舗名 金高刃物老舗

   (かねたかはものろうほ)

住所 〒604-8134 

   京都府 京都市中京区 六角通東洞院西入ル

   堂之前町244

   TEL:075-221-5446 

   FAX:075-252-5829

E-mail kyoto@kintaka.com

休業日実店舗 

  無休(年末年始、7/17は祇園祭で休業)

営業時間平日 

  9:00〜17:00 土日祝:9:00〜17:00

アクセス

阪急京都線の烏丸駅より北に徒歩6分
京都市営地下鉄の烏丸御池駅より南に徒歩3分

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京刃物の歴史

京刃物の歴史は平安遷都(797年)に遡ります。

優秀な鍛治師たちが奈良の都から移り「京都」の恵まれた風土や発祥文化の中で受け継がれてきました。
京都は出雲の砂鉄(玉鋼)、伏見稲荷周辺の土、鳴滝の砥石、丹波の炭、それと比叡山からの良質の地下水と、
刃物にとっては、理想的な条件を揃えており、数多くの名刀や刀鍛冶の名匠が生まれた由縁ともなった。
「京都」が発祥もしくは中心地といわれる茶・華・香の道(どう)からは様々な工芸や料理の技術が生み出され
ました。これらの伝統文化の発展に伴って、刃物も用途に応じた専門的なものが作られるようになったのです。
今でも京都の文化を担う職業の中で刃物を使わないものはありません。
京料理(錦の料理包丁)、西陣織(裁ちばさみ)、華道具(主に池ノ坊)、京表具、などなど。

 

藤原金髙の云われ

もともとは、美農の国 現在では岐阜大垣あたりで、刀鍛冶を営んでいたようでした。
その時の銘が、「藤原金髙」を名乗っていた。
その鍛冶屋の兄弟の弟が独立にあたって、本家と同じ刀鍛冶をすることが出来なかった。
戦国時代も後半に入り、刀の需要が少なく京都に上京して、二条城の近くで
剃刀鍛冶屋を営んだ。

この時も、銘は藤原金髙を名乗った、時代は西暦1600年代で、詳しい資料は
ありませんが聞き伝えにて、伝えられたのです。
西暦1800年頃に、旧住所 下京第四番区 堂ノ前町、いまの土地に移ったのである。
それ以来、200年余り、(西暦2001年 七代目 山田和宏)にいたっております。
山田と名のったのは、明治七年(西暦1874年)に町民にも姓を名乗ることが
出来る許しが出た、これもおそらくではありますが、大垣に山田村と言う村がある
そこの出所だと思われ山田と名のったそうです。それまでは、山城屋とか金髙屋と
名乗っていたのだ。山城屋と言う姓は、刃物関係の商売を営んでいる者は、大半が
山城屋と名乗ったと言われている。
四代目(清三郎)までは、「萬御打刃物所 藤原金髙」と看板を、かかげていた。
五代目(清一「通称 恭嗣」)の時代になり、第二次世界大戦後に、六角通東洞院東入
に、藤原さんが引っ越して来られ、郵便物が間違い、困った為
金髙刃物老舗と変更した。
昭和42年4月26日に、株式会社 金髙刃物老舗と同族会社を設立した。
その頃は、「キンタカ」と名乗った、(ン)が付くと言って、当時 室町の呉服屋あいて
の商売として、たいそううけていた。
昭和の後半頃から、池坊の生花が盛んになり、お花の先生相手の商売が多く
「キンタカ」では、きつく思われ、又、先生方にお宅の屋号は、「カネタカ」か
「キンタカ}かどちらですかと、良く聞かれるので、平成に入り 六代目 (耕造)が
花関係に合う「カネタカ」と読み方にしたのである。
もともとは、「カネタカ」と名乗っていた。

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